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○筑紫路の可太の大島しましくも
見ねば恋しき妹を置きて来ぬ
筑紫への道の可太の大島ではないが、しばらくの間会わないと恋しい人を置いてきた来たことだ。
注、「可太の大島」=山口県大島郡、屋代島。
○草枕旅行く人を祝島 幾代経るまで
斎ひ来にけむ
旅をつづけて行く人を、この祝島はその名のとおり昔から今まで神の守護を祈りつづけて来たことであろうか。
注、「祝島」=山口県熊毛郡上関町祝島。
◎熊毛の浦に船泊てし夜作る歌
○沖辺より潮満ち来らし可良の浦に
あさりする鶴鳴きて騒ぎぬ
沖の方から潮が満ちて来るに違いない、可良の浦で餌をあさる鶴が鳴いて騒いでいる。
注、「可良の浦」=山口県熊毛郡上関町室津付近の海浜。
◎佐婆の海中にして、忽に逆風に遭い、漲浪に漂流す、経宿して後に幸いに順風を得て、豊前国下毛郡分間の浦に到着す。
是に追いて艱難を但み、悽惆みて作る歌
○海原の沖辺にともし漁る火は
明してともせ 大和島見む
広い海原の沖の方で灯して漁をする火は、明るくせよ、故郷の大和を見よう。(火が明るければ、無駄な航海をせずに少しでもはやく故郷大和が見れるのに。)
注、「佐婆の海中」=佐波の海中、現在の周防灘。
「分間の浦」=大分県中津市間々崎。
以上の歌から、この航海は大阪(難波)を出航、尼崎・西宮市沖を経由、明石海峡を通過、高砂市沖、倉敷市玉島泊、笠岡湾神島泊、福山市鞆泊、布刈瀬戸経由糸崎泊、安芸津町風早泊、倉橋町桂が浜泊、岩国市沖通過、大島瀬戸経由上関海峡を通り周防灘へという航路とっていることが解ります。
抄録した最後の歌は、大分県中津市に停泊していますが、題詞からして、これは暴風により漂着したもので、正規のコースは周防灘を本州陸岸沿いに関門海峡に抜けたものと推定されます。
当時の船は、帆船又は人力による漕船でありましたから、風待ち潮待ちをし順風・順潮を利用する必要があったと思われ、必然的に一定の航路が決まっていたと推察され、少なくとも西航船はこのコースをとっていたものと考えられます。
【参考文献、旺文社刊 万葉集(下)、講談社刊 古語辞典。】

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